長野家庭裁判所伊那支部 昭和54年(家)231号 審判 1980年3月04日
申立人 川村英子
右法定代理人親権者母 川村久子
相手方 川村信夫
主文
申立人の本件申立を却下する。
理由
第一当事者の申立及び主張
一 申立の趣旨
「相手方は申立人に対し扶養料として毎月三万円宛支払え。」との審判を求める。
二 申立の実情
申立人法定代理人と相手方は、昭和五四年三月五日、申立人の親権者を申立人法定代理人(母)と定めて協議離婚をした。
右離婚以来、申立人は、○○○教師をしている申立人法定代理人に引取られ、養育されてきたが、申立人法定代理人の収入だけでは監護養育を受けることができなくなつたので、相手方に養育費の支払を求める。
三 相手方の主張
協議離婚の際、申立人法定代理人は相手方に対して申立人の養育料は請求しない旨誓約したので、相手方としては申立人の養育料支払い請求には応じられない。
四 本件審判に至る経過
申立人は昭和五四年五月二三日本件につき調停を申立て、当裁判所調停委員会の調停が行われたが、同年七月三〇日右調停は不成立となり、審判に移行した。
第二当裁判所の判断
一 当裁判所の認定した事実
本件につき当事者らの提出した戸籍謄本等の各書面、家庭裁判所調査官の調査報告書及び申立人法定代理人、相手方、参考人松本加津男(申立人法定代理人の兄)、同杉山洋二(申立人法定代理人の従姉の夫)、同川村健一(相手方の父)、同内田きみ子(相手方の知人)各審問の結果等本件一件資料を総合すると、次の事実を認めることができる。
(1) 相手方川村信夫(以下信夫という。)と申立人法定代理人川村久子(以下久子という。)は昭和五〇年一〇月一七日婚姻し、昭和五二年三月三一日申立人が出生したが、昭和五四年三月五日申立人の親権者を母である久子と定めて、協議離婚をした。そしてその際久子は申立人の養育料は信夫には請求しない旨を誓約した。
(2) 右離婚に当つて、申立人の親権者を久子と定めた経緯及び久子が申立人の養育料を信夫には請求しない旨誓約するに至つた事情は次のとおりである。
(ア) 信夫と久子は、婚姻以来信夫が勤務していた○○○○株式会社の伊那市内所在の社宅で生活をしていたが、性格の不一致(久子は派手であり、信夫は実質的である。)、とくに家庭経済に対する考え方及び処理方法の相違から不和が昂じ、久子は昭和五三年一一月ごろ申立人をつれ茅野市内の実家へ戻つて別居し、信夫に対して離婚を求めた。これに対し信夫は離婚の意思はない、しかし久子がどうしても離婚するというのなら、申立人の親権者を信夫とし、信夫側が監護養育をする、その場合は信夫は久子に対し慰籍料として金一〇〇万円を支払う。久子が申立人の親権者となり、これの監護養育することをあくまで望むならば、一切久子側の負担で養育するべきで、信夫は慰籍料も養育費も支払わない旨の条件を提示した。久子はなお強く離婚を求め、昭和五四年二月一〇日ごろには久子の実家へ、信夫、信夫の両親及び信夫の知人内田きみ子らを招き、久子の母、兄、従姉の夫杉山洋二及び○弁護士事務所所属の弁護士(又は同弁護士事務所事務員)が立会のうえ、信夫に対し離婚と申立人の親権者には久子がなること及び申立人の養育料を支払つてほしい旨を請求した。これに対し信夫は従前と同じく、離婚する意思はないこと、仮に離婚するとすれば前記の二条件の二者撰一しかないこと、特に久子の資力のみでは申立人を養育することができないならば、信夫が申立人を引取つて養育すること、そして久子がこれらに応じられない場合は、訴訟又は調停による結論にまつのも辞さないとの態度を示して、協議は成立しなかつた。
(イ) その後信夫との離婚の意思を翻さない久子は、母、兄及び杉山洋二らと協議し検討した結果、慰籍料を取得するために申立人を信夫に引渡すようなことは絶対にせず、申立人の養育は久子が行うこと、しかし信夫側の態度から信夫に養育料を分担させるのは無理であり、一方久子も○○○教師として申立人の養育を含めた自活能力がある(久子は離婚後の生活費についての計画書を作成し、母、兄、杉山らと検討した結果、信夫からの養育費なしに何とかやつていけるとの結論をえた。)ので、信夫に対して養育料請求はしないこと、そして久子の母や兄が申立人の扶養を含めた久子の離婚後の生活を援助していくこととの協議が成立し、右の条件での信夫側との離婚交渉を杉山洋二に委任した。
(ウ) そこで同人は同年三月五日信夫方を訪れ、信夫に対し、今後信夫には申立人の養育料請求等一切の経済的負担はさせないから、申立人の親権者を久子と定めるとの条件で協議離婚に応じてほしい旨懇願した。これに対して信夫は右の今後養育料を請求しないとの点について危惧の念を表したのに対し、杉山は右条項は久子、久子の母及び兄の協議の結果であるから間違いなく履行される旨を請け合つたので、信夫も遂に申立人の親権者を久子と定める協議離婚を承諾し、杉山の持参した協議離婚届書に署名押印した。しかしなお念のため信夫は久子に対し離婚後は信夫に金銭的請求は一切しないとの誓約書の提出を求めたところ、久子は同月六日付で信夫の父川村健一宛の同旨の誓約書を作成、これに久子の兄松本加津男が保証人として署名押印して信夫に差出した。
(エ) なお久子は結婚前から○○○教師をしており、結婚前後ごろは一か月約一〇万円の収入を挙げていたが、申立人の出産後は一か月四万円ないし五万円程度に減少していた。又母親は松本加津男と同居しており、亡夫の年金約三〇〇万円の年収があつて、久子の婚姻中も久子や申立人に対しかなりの衣類、装身具、人形等を買い与える等多くの経済的援助を与えていた。
(3) 離婚後の状況はつぎのとおりである。
(ア) 離婚後久子は、離婚前の昭和五四年二月ごろ借りた諏訪市内のアパートに申立人と住み、日中は申立人を保育所に預けつつ、○○○教師として稼働しているが、同年一一月ごろ現在、収入は一か月五万円ないし六万円程度にしかならない。一方支出は、一か月当り、家賃、食費、光熱費、電話代、申立人の保育園費用、雑費等の経費が計七二、八〇〇円、他に貯蓄、保険関係の出費が二一、五五〇円、自動車、ローン関係の出費が四三、七九〇円、合計金一三八、一四〇円であつて、右収支の差額は久子の母親の援助(贈与)によつて補充されている。
(イ) 一方信夫は離婚後内田きみ子の紹介で見合いをし、同年五月二六日その女性と再婚をした。同年一二月現在で妻は妊娠五か月目である。収入については、○○○○株式会社から同年六月現在で家族手当及び残業手当等を含めて手取収入一三九、〇〇〇円(天引積立一万円、食事代四、二五〇円についても控除後)をえていたが、同年一二月末日限りで同社を退職し、昭和五五年一月別会社に再就職した。しかし六か月間は試用期間であり、その間の給与支給額は前記金額程度である。
二 当裁判所の判断
上記認定の事情のもとで、離婚後は申立人の養育料は信夫に請求しない旨の久子の誓約について判断すると、久子がこれを杉山洋二を介して信夫に申入れ、信夫が右条件を前提に申立人の親権者を久子と定める協議離婚に応じた事実に照らせば、申立人の第一次扶養義務者である信夫及び久子間において、申立人の扶養の順序につき、久子が申立人の親権者となると同時に信夫に優先して申立人を扶養する旨の協議の成立と解すべきである(右約を、久子が申立人の法定代理人として信夫に対してした扶養請求権の放棄と解することは相当でなく、仮に同趣旨と解するとすれば、右放棄が無効であることは明らかである。)。そして前記認定の事情のもとでは、久子の母及び兄が行つた申立人の扶養についての久子への援助の約は、少くとも同人らと久子との間では法的に有効であつて、右約に基いてなす同人らの久子への援助は、久子に対する返還請求権を発生させないものであつて、従つて同人らからの援助は、これを久子の申立人に対する扶養のための資力の一部とみなすことが相当である。
そうすると前記認定のとおり、申立人は、現にその優先的扶養義務者である久子(その母による援助を受けつつ)によつてとくに不自由なく扶養されているのであつて、現段階で信夫に対して扶養を求める必要はないといわなければならない。
もつとも久子の母が死亡し兄にも援助能力がなく久子の独力では申立人を扶養する資力がなくなつた場合とか、申立人の進学あるいは病気等で母や兄からの援助を含めても久子の扶養能力を越える場合、或は一方的に久子のみに申立人の扶養義務を負担させることは酷と見るべき特段の事情が発生した等事情に変更が生じた場合は、家庭裁判所は久子を申立人の優先的扶養義務者と定めた前記協議を変更し、信夫にも申立人の扶養義務を分担させる等の措置をとることができることはいうまでもない(民法第八八〇条)。しかし本件審判に移行する前の調停は、前記のとおり離婚後二か月余しか経過していない昭和五四年五月二三日に申立てられたものであつて、それまでの間はもちろん、その後においても特段の事情の認められない本件においては、前記申立人の扶養義務の順序についての協議を変更しなければならない理由は見出せない。
よつて申立人の本件申立は理由がないので却下することとして主文のとおり審判する。
(家事審判官 国枝和彦)
〔参考〕抗告審(東京高昭五五(ラ)三四一号昭五五・一二・一一決定)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣旨は、「原審判を取消し、本件を長野家庭裁判所伊那支部に差し戻す。」との裁判を求めるにあり、その理由は、「原審判は、抗告人の養育料の負担は抗告人の親権者である川村久子の兄と母が援助するとの約束があつた旨認定しているが、事実は兄と母は道義的に援助する申出はしたが、相手方の扶養義務に代つて抗告人のために養育料を負担することを約束したものではない。よつて、原審判の取消を求める。」というのである。
よつて審案するに、一件記録によれば、抗告人の親権者(母)久子が離婚に際して相手方に対し、抗告人の養育料を請求しない旨誓約するに至つた経緯及び久子の兄松本加津男と母松本知子が久子に対し抗告人の扶養を含めた久子の離婚後の生活を援助していく旨約するに至つた事情は、原審判の理由第2の1の(2)の(ア)、(イ)、(ウ)に記載されたとおりであることが認められる。
右認定の事実に徴すれば、久子の兄と母のなした、抗告人の扶養を含めた久子の離婚後の生活を援助していくとの意思表示は、たとえそれが親子兄妹間におけるものであることを考慮にいれても、何らの法的効力を有せず道義的なものに過ぎないものと解することはできない。
原審判は、前叙認定の事情のもとでは、久子の兄と母の前記意思表示は少くとも同人らと久子のとの間では法的に有効であるとの見地に立つて、同人らからの援助を久子の抗告人に対する扶養のための資力の一部とみなし、抗告人が現にその優先的扶養義務者である久子によつて(その母による援助を受けつつも)とくに不自由なく扶養されている現段階では相手方に対して扶養を求める必要はないとして、本件申立を却下しているのであつて、当裁判所も右判断を是認すべきものと考える。
よつて、原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。